「わたしは、地上に火を投ずるために来た」…。しかも、そのことが あなたたちに分裂をもたらすことにもなる、とイエスは語ります。一体どういうことでしょうか。

 イエスが地上に投じようとしている火…。それは、聖霊の火です。神から来る愛熱の炎です。地上のどんな火よりも強く、逆らう者を容赦なく焼き尽くす炎です。この火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか…、とイエスは言われます。

「しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。」 

 私たちが求めなければならないものは、神から送られるこの愛の力です。人間が造ったものではない本物の力です。イエスの苦しみは、私たちの救いが完成するまで終わらないでしょう。なぜでしょうか。それは、私たちを愛しておられるからです。愛ゆえに、愛する者を救おうとされるからです。愛は苦しみを伴います。それは、愛する者が滅びるのを放っておけないからです。愛がなければ苦しみません。本物の愛をもって、私たちと関わっておられるからこそイエスは苦しむのです。

 それゆえ、イエスにとっての洗礼は、十字架と深く関わっています。「わたしには受けねばならない洗礼がある」。この言葉に、私たちは胸が痛みます。私たちを愛するがゆえに、私たちに代って自ら十字架で死なれる。‥‥その覚悟を持ってイエスは歩んでおられます。

 イエスは、私たちに真の平和を与えるために来られました。しかし、地上の人々は、このイエスを理解しませんでした。対立や分裂をこの世にもたらしているのは、神の心を知ろうとしない人間であってイエスではありません。その現実が、イエスを十字架に追いやっているのです。

 イエスの痛み苦しみ…。それは、今も続いています。ウクライナやロシアだけでなく、今も昔も、この世界に争いのない時代はありませんでした。それに巻き込まれざるを得ない人々の痛み苦しみがそこに生まれます。それぞれの国に大切な親戚、恩人、友人がいるのに…、どうして私たちはこの争いに巻き込まれなければならないのか…と、家族を失った人々が、廃墟と化した瓦礫の中で、涙ながらに語る言葉。この人々と共に、イエスは今も痛み苦しんでおられるのです。

 聖霊降臨で、明らかにされたことは神の愛熱の炎でした。神の現存が、炎として弟子たちの上に降りました。同時に、聖霊は「燃えつくす火」(ヘブライ12:29)でもあります。神から来るもの以外は、この火の前に存在することさえ許されないでしょう。しかし、この愛の炎は、どんなに弱く貧しいものにも、害を与えることは決してありません。(出エジプト3:2 燃え尽きない柴 参照)。

 どのようにして、聖霊の働きを待てばよいのでしょうか。それは、苦しみ悲しみを取り除かれて平穏な日々が来るのを待つのではありません。聖霊を受けて、地の果てまで福音を伝える任務を頂いた弟子たちを見ても分るとおりです。マリアを初め、弟子たちの労苦はそこから始まりました。しかし、そこに教会が誕生したのです。教会の誕生も存続も、人間の力や努力によるものではありません。聖霊が降ることによって、人間の力では不可能なことがそこから始まったのです。

 今、世界中の人々がコロナ禍の中で苦しみ、大切な命を失っています。これまでにも教会は、いろんな困難を何回となく経験してきました。この先、世界はどこに向かいつつあるのか…。私たちには分りません。それでも、聖霊の導きに信頼して歩むのです。

 聖霊は、天に昇られたイエスと、地上を生きる私たちとの隔たりを越えて、イエスと共に生きることを可能にします。私たちは、その聖霊の約束と護りを既に受けているのです。聖霊の働きがあるからこそ、私たちは何があってもイエスを信じることができるのです。教会の歴史はそのようにして存続してきました。

 その私たちを支え、世の終わりまで共にいると約束されたイエスは、この後、最後の晩餐において弟子たちにパンとぶどう酒を与えられました。ミサによって、私たち一人ひとりがキリストの体とされていることを体験するためです。これも聖霊の働きです。聖霊が私たちを一つに結びます。そして、キリストの体である教会を今も築いているのです。このようにして、神のみ業は今も私たちの間に、私たちを通して 進行中なのです。私たちはこの神の働きを信じて、「聖霊、来て下さい。信じる人の心を照らし、あなたの愛の火を燃やして下さい。」と祈り続けるのです。

 明日、8月15日は終戦記念日であると同時に、教会においては「聖母被昇天」の祭日です。この祭日は、マリアが神の母であることに由来します。エルサレムでは、既に5世紀から祝われていました。神の御子イエスを生んだマリアから救いが始まったように、マリアの被昇天においても、全人類の将来の姿が示されているのです。このマリアを教会は特別の愛をもって敬い、その取り次ぎを願います。特に、戦争のため苦しんでいる方々が母マリアの祈りによって護られ支えられますように…。