教会の紹介

徳田教会史

徳田教会の創設について考える時、忘れてならないのはヨゼフ・フロジャック神父のことです。神父は1909年に、パリ外国宣教会から日本に派遣されました。神父が東京の関口教会の主任であった時、中野区江古田にあった当時の東京市の結核療養所の入院患者を訪問されていましたが、退院を強いられて行き場のない患者のために、1929年に一軒の家を借りて収容されました。さらに翌年にはこのような患者を受け入れるための「ベタニアの家」を建てられました。この家が現在の社会福祉法人慈生会の始まりであり、それを支えるためのベタニア修道女会の始まりでもあり、さらには徳田教会の始まりでもありました。
 患者たちの世話をするために、フロジャック神父は1936年に関口を離れ、それに伴い徳田教会の前身の江古田教会が小教区として発足しました。現在の徳田教会は、やはりフロジャク神父の多大なご尽力によって、1953年に献堂されました。神父は慈生会の発展のために奔走されましたが、1959年に帰天されました。

 徳田教会の保護の聖人「聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ」は、17世紀のフランスで貧しい人たちへの奉仕に一生を捧げられた司祭で、フロジャック神父が尊敬し、かつ目標としておられた聖人です。


現在の徳田教会について

現在の徳田教会の在籍信徒の大半は、中野区と練馬区に在住しています。教会の運営は毎月開かれる教会委員会の話し合いをもとに行なわれています。バザーなどの大きな行事ごとに裏方として欠かせないのは、マリア会(婦人会)とヨゼフ会(壮年会)です。また教会委員会の下に、財務、典礼、広報の各委員会や、墓地委員会、教会学校部、一粒会、聖歌隊、福音宣教部、購買部があり、継続的な係として、お掃除係、お花係、慶老の集い係などの役割が信徒によって分担されています。
 その他、聴覚障害者支援のための手話の習得、孤独死を防ぐための一人暮らしの高齢信徒の自宅訪問、山谷の野宿者支援のためのおにぎり作りなど、いくつかの信徒の任意のグループが、それぞれの目的をもって活動しています。
 またボーイスカウト中野5団、AA(アルコール依存症の自助グループ)、絵手紙サークルなどに、活動の場を提供しています。


現在の徳田教会敷地図