徳田教会沿革
1930 |
「ベタニアの家」落成当時関口教会の主任司祭だったヨゼフ・フロジャック神父が、死病と恐れられ治療の見込みも無いまま病棟から退去を命じられ、社会、家族からも見捨てられ行き場のなくなった者のために、結核療養所として「ベタニアの家」を建設。徳田教会の歴史はフロジャック神父が始めたこの「ベタニア事業」と共に始まる。★フロジャック神父の生い立ちや日本での歩みについては、フロジャック神父の創立した ベタニア修道女会のホームページに詳しく記載されています。 |
1932 |
「ベタ二アの聖堂」落成 |
「ナザレトの家」建設家に残されて養育者をなくした患者の子どもたちのための家「ナザレトの家」を建設 |
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1934 |
「ナザレトの家」乳児院となる |
1935 |
「ベタ二アの家」病院認可受ける |
1936 |
天主公教宣教師社団ベタニア事業協会認可フロジャック神父関口教会主任を辞任、事業に専念フロジャック神父が関口教会主任を辞任し、「ベタニアの家」に常駐するようになり、関口教会の巡回地の聖堂でしかなかった「ベタニアの聖堂」は徳田教会の前身「江古田教会」となり、独立した教会となった。 |
1937 |
ベタ二ア修道女会(聖ベルナデッタ会)設立認可 |
1943 |
徳田保育園開設 |
1952 |
財団法人慈生会が社会福祉法人慈生会に組織変更される。 |
1953 |
徳田教会献堂式 |
1958 |
徳田JOC(カトリック青年労働者連盟)設立 |
1959 |
ヨゼフ・フロジャック神父帰天 |
1963 |
ボーイスカウト東京220団(現中野5団)発団 |
1967 |
教会報「欅」創刊 |
1968 |
近隣のプロテスタント5教会と初めて合同礼拝が行われる。これは1962年から65年にかけて行われた第2バチカン公会議において、それまで異端者としていたプロテスタントを兄弟と呼ぶことになり、キリストのもとに一致するというエキュメニズムの考えに基づく。1998年からはキリスト者以外の方々も広く対象として毎年講演会を開催するようになる。さらに2002年からは聖書をより深く知るための公開勉強会も開催し現在も続いている。 またこれを機会に西武地区キリスト教教会連合が発足する。 |
1978 |
献堂25周年 |
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パイプオルガン設置 |
1981 |
マリンガ里親の会発足マリンガの「モンセニョール木村保育園」への援助活動。2004年まで続いた。 |
1993 |
カトリック府中墓地に徳田教会の共同墓地完成 |
2001 |
独居生活をしている人を訪問し必要な世話をする「訪問会」発足 |
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信者規約の制定 |
2002 |
慈生会理事長エミリアン・ミルサン神父帰天 |
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豊多摩南宣教協力体発足 |
2003 |
献堂50周年宣教75周年記念誌発刊 |
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身障者トイレとスロープの設置 |
2004 |
ジョニープロジェクト(通称ジョニプロ)の開始被災地支援などの寄付に備えるため、ミサ後ホールでコーヒーのサービス(有料)をし信徒同士の交流の場を提供。時には軽食の用意やミニバザーを開催し収益を外部に寄付。 |
2011 |
福音宣教部発足大倉神父と福音宣教部による洗礼、堅信の準備、信仰の理解、福音宣教のためのカトリック講座を開設。 |