闇の中に輝く光、それはイエス・キリストのことです。冬至を祝う「太陽の祭り」が、イエス・キリストの誕生と結びつけられて、A.D.336年、ローマ帝国によってこの日がキリストの降誕を祝う日として定められました。それ以来、一年で最も長い夜であったこの日が、私たちの心の闇を照らす光である主を思い起こすのに最も相応しい日となりました。人は誰でも、やみを経験します。どこに進んで行ったらいいのか分らない時もあります。その闇の中に、たとえかすかな明かりでもあれば、そこへ向って歩むことができます。イエス・キリストは、そのような闇の中で、道を見失っている人の光となるために来て下さった方です。クリスマスの喜びもそこにあります。この闇が、神の光に触れて照らされる時の状況をイザヤは語っています。

「闇の中を歩む民は大いなる光を見、死の影の地に住む者の上に、光が輝いた。」

いろいろなストレスを抱えながら生きている私たち。そのような私たちに、あの方は大きな平和と喜びをもたらされます。もちろん、私たちには、その光が完全には見えていません。しかし、イエスにつながっている者に約束された神からの安らぎがあります。私たちにこの喜びをもたらして下さる救い主とは、どのような方なのでしょうか。「ひとりのみどり子が、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。」そうです。イザヤが預言そのみどり子が、今宵 私たちのもとにお生まれになったのです。その方が、イエス・キリストです。永遠の神であられる方が、私たちと同じ人間として生まれ、救い主になられるという約束です。

イザヤは語っています。「この方は、驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」。彼は、私たちが心の中で考えていることを全て知っておられるだけでなく、私たちの人生における完全な指導者です。ですから、私たちは地上において何があろうと安心して委ねることができます。この方は、アドバイスを与えるだけでなく、それを実行するために必要な力をも与えてくださる方です。そして、世の終わりまでいつまでも、私たちと共にいると約束された平和の神です。しかし、地上のどこに、その平和があるのでしょうか。どこを探してもそれは見つかりません。あるのは戦争と争いばかりです。人類は少しも反省することなく、今も戦争を繰り返しています。どこに、それを探せばよいのでしょうか。それは、十字架に付けられ死なれたイエス・キリストを通してのみもたらされる平和です。この方を見つめなければなりません。「どうか、あなたも、この神の心を受け取ってほしい。十字架において死ぬことをも厭わなかったこの神の、心からの叫びをあなたも受け取って欲しい…」と言うのがクリスマスに込められた神からのメッセージです。この神の愛のみが、私たちを生き返らせる力の源です。お生まれになった幼子の光が、私たちの心を照らしますように…。御降誕の神秘を深く心に思い巡らしましょう。

主の降誕(日中のミサ)ヨハネ1・1~18(12月25日)

「言は神と共にあった」と繰り返されているところは重要です。この世の全てのものは、この方のうちにあって「創造された」ということです。創造者なる神、御父との深い交わりの中にあるイエスの存在の神秘です。イエスは、御父の創造のみ業にも深く関わっておられた方です。万物は御子によって、御子のために造られ、同時に御子によって支えられているからです。

イエスが、神の御子であるという言葉は、イエスがまことの神であるというイエスの本質を伝えようとするメッセージです。世の初めから御父と共に存在しておられた方イエス。天地創造のみ業の中にも、隠された仕方でイエスの姿が示されています。神の「光あれ」と言う言葉から始まる興味深いメッセージ。天地万物の創造は、神の言によってなされたみ業です。しかし、誰かが聞いていたわけではありません。それなのに、なぜ神は「光あれ」と言われるのでしょうか。それは、ここで語られている「言」の重要さと関係があります。神がお語りになる言は、あらゆるものを存在せしめ、神の似姿である人間をも造り命を与える、そのような力ある存在です。その神の言そのものが、人格的存在である事をも聖書は語っているのです。それが、イエス・キリストという人となられた方です。その「言」が肉となり、私たちと共に地上を生きて下さった……、そこに神の深い思いと計画があるのです。そこから溢れ出る神の思いが、私たちにも届いているでしょうか。神は、今も、イエス・キリストにおいて語りかけておられます。

言葉は必ず誰かに向けて語られます。神の言葉は、虚しい空間に向かって語られたのではありません。それは、私たち人間に向けて語られた言葉です。神が「光あれ」と語られたのは、私たちが生きるために不可欠な光を神が造り与えて下さることを示しています。その神のみ心が私たちに示されているのです。神は、私たちが生きるために必要な恵みを調え、相応しい環境を与えようとしておられます。そしてこの私たちを、神の言葉に相応しく応答できる者として造り変えて下います。私たちの根本的な問題は、この神からの語りかけに気付けない、あるいは気付いても相応しく応えていけないということです。神の言葉を聞けなくなってしまったなら、私たちは暗闇にいるしかありません。そのような私たちへの助け手、取り成す方として、イエス・キリストは遣わされました。イエスは、父なる神から私たちに与えられた最高のプレゼントです。これ以上のクリスマス・プレゼントはありません。「闇の中を歩んでいる者が、大いなる光を見、死の陰の谷を歩んでいる者も、その闇の中で光に変えられていく。」そのために、イエスは今日、幼子となって私たちのもとに生まれて下さったのです。たとえ、暗闇が光を受け入れなくても、イエスが来られたことによってその闇は、更に光を輝かすものへと変えられていきます。これも不思議な神のみ業です。私たち自身の中にある闇も同じです。神の慈しみと愛の光は、私たちの闇が深ければ深いほど、さらにそこで輝くのです。主の御降誕おめでとうございます!