イエスは、ヘロデがユダヤを支配していた時代にお生まれになりました。王位を守ろうと必死になっているヘロデのもとに、東の国の学者たちによって、ユダヤ人の王の誕生の知らせが届けられたのですから、ヘロデが不安を抱くのも無理はありません。

そこで王は、祭司長、律法学者たちを集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかを尋ねます。彼らは、それはベツレヘムである答えます。ヘロデは、学者たちをベツレヘムに遣わし、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」。と言っていますが、それは王として生まれた幼子を見つけ出して今のうちに殺してしまうための口実でした。

イエスが生まれたときの状況を、マタイはありのままに書き留めています。イエスがお生まれたことによって不安を覚えたのはヘロデだけではありません。エルサレムの人々も同じです。このように、真の王であるイエスの誕生は、自分を王として生きようとする全ての人々に不安をもたらします。ユダヤ人たちは、主なる神に従って生きる人々であるはずです。そのユダヤ人たちが、神から遣わされた王の誕生の知らせを聞いて不安を覚えるとはどういう事でしょうか。

「民の祭司長たちや律法学者たち」というのは、ユダヤ人が神に従って生きるための指導者として立てられている人々です。聖書の知識を豊富に持っている彼らこそが、真っ先にまことの王を拝みに行くべきなのに、彼らはその務めを果していないのです。その先頭に立つはずの祭司長や律法学者たちも、神がお遣わしになったまことの王を喜び迎えることも、受け入れることもなく、かえって抹殺しようとしているのです。

 

 このユダヤ人たちと対照的なのが、東の国からはるばるやって来た占星術の学者たちです。彼らはユダヤ人でもありません。ユダヤ人たちから蔑まれている異邦人です。彼らは異邦人でありながら、ユダヤ人の王の誕生を知り、その王を拝むために、はるばる遠い道を旅してやって来たのです。それこそ本来ならば、主なる神の民であるユダヤ人が真っ先にしなければならないことでした。異邦人の学者たちと、主なる神の民であるはずのユダヤ人たちとが、神への礼拝において逆転してしまっていることをマタイは書いているのです。

 ヘロデは、「わたしも行って拝もう」と言いながら、実は、その子を抹殺しようとしていました。そのような見せ掛けの礼拝とは対照的な姿が、占星術の学者たちです。彼らは、お生まれになったユダヤ人の王を礼拝するために日常生活を離れ遠い国へ旅立ちました。そこには、神の不思議な導きがありました。彼らは、ユダヤ人の真の王はエルサレムにおられると思ってやって来ました。しかし、そこにいたのは偽りの王ヘロデでした。ユダヤ人たちも、自分たちのまことの王の誕生を喜ぶどころかむしろ不安を抱いています。しかし、彼らを導いたあの星がベツレヘムの幼子のもとまで導いてくれたのです。

 

ヘロデやエルサレムの人々が不安を覚えたのとは正反対に、彼らはそこで喜びに満たされています。自分が人生の王であろうとしている者にとってイエスの誕生は、恐れや不安しかもたらしません。しかし神の導きによって、イエスと出会い、イエスを自分のまことの王としてお迎えし、そのみ前にひれ伏す者には、真の喜びが与えられるのです。彼らはその幼子に、黄金、乳香、没薬を献げています。彼らは、自分にとって最も大切な宝を幼子イエスに献げています。そこに大切な意味があります。

 

博士たちの来訪をもとに作られた「もう一人の博士」四人目の賢者(ヴァン・ダイク著)という短編小説があります。

三人の博士たちと同様に、星の動きに救い主の誕生を見たアルタバンという博士は、生まれたばかりの救い主に捧げ物をするために、全財産を売り、サファイア、ルビー、真珠を手に入れ出かけます。しかし、その旅の途中で瀕死の男に出会い、その男を助けているうちに、一緒に行くはずだった三博士たちと出会う日時にも遅れてしまいます。アルタバンは、必要な物資を揃えるため、用意した宝物の一つを売らざるを得なくなりました。そして、三人の博士との待ち合わせ場所まで馬を走らせようやく辿り着きました。ところが途中、ある村を通る時、重い病気で死にかかっている重病人を見かけます。急いでいたアルタバンは、一旦通り過ぎましたが、引き返してその病人の手当をし、その後、また直ぐに道を急ぎました。しかし、約束の場所に着いた時、三人の博士たちはすでに出発した後でした。そこに書き残された博士たちの手紙があり、彼はようやくベツレヘムに着くのですが、そこでも聖家族はそこを立ち去った後でした。

子供を寝かしつけていたある母親が、この3日間ここで起こった不思議な出来事をアルタバンに告げます。「あなたが探しているその方は、もうこの村にはおられません。両親といっしょに夜の間にエジプトに逃れたのです。」そこへ、ヘロデから遣わされた兵卒たちが子供たちを皆殺しにするためにやって来ます。母親は恐怖に怯え、赤ん坊を抱いて逃げ惑いますがどうすることも出来ません。その時アルタバンは、ルビーを隊長に渡しながらこの母子の命を助けるように願います。彼はルビーをひったくると、兵卒たちに他の家を探せと命令しました。こうして、一人の赤ん坊の命が救われたのです。

あれから長い年月が過ぎました。それは、アルタバンがイエスを探し続けるために出発してから33年経過したある日の事です。イエスと呼ばれる人が、エルザレムで磔刑に処されようとしているという話しを耳にします。これまで長い間探し求めていたイエスの情報です。そのイエスが今殺されようとしている。いても立ってもいられなくなった彼はイエスを助けようと、ゴルゴダの丘へと急ぎます。しかしその旅の途中、若い女性が借金のかたに奴隷として売られようとしている現場に遭遇します。心を痛めたアルタバンは、イエスを救うために最後に持っていた真珠を手放してしまいます。これで、彼の手元にあった宝物は全てなくなりました。それは、もしかしたら、これでイエスの命を救えるかも知れないと期待していた最後の宝物でした。

その時……、激しい地震が起こり、瓦がアルタバンの頭上に落ちます。死に瀕したアルタバンは、ついにイエスに出会います。「おお、主よ。わたしはあなたにお会いするために、何十年も旅をしてやっとここまで辿り着きました。かつてあなたのもとを訪ねたあの幸せな三博士たちのように、わたしもあなたに宝物を捧げようとここまで来たのです。しかし、今のわたしにあなたにお捧げできる物はもはや何もありません。」

これに対するイエスの言葉は感動的です。「アルタバン、わたしはずっとあなたと一緒にいたよ。わたしの兄弟であるこれら最も小さい者の一人にしてくれたことは、わたしにしてくれたことなのだから。アルタバン、わたしはあなたが気付くよりもずっと以前から、あなたと出会っているではないか…。」

イエスがいない、見えないと思っていたその時こそ、実は深いところで私たちはイエスと出会っているのです。見えない中で、それでもイエスを探し求める人々の一途な思いが実現している時です。それは地上においては闇の時です。イエスとの本当の出会いはそこから始まるのです。これが、幼子を礼拝する三博士たちが教えている救い主との出会いの神秘です。彼らを導いた夜空の星の光が、私たちの信仰の闇をも照らしますように……。