財産を預けて旅に出る人のたとえを通してイエスは天の国を語ります。神がどれほど私たちを信頼して、大切なものを委ねておられるかが示されています。五タラントン預けられた人も、ニタラントン預けられた人も、主人が帰って来るまでに二倍に増やしています。神から預けられた賜物を、私たちがどれだけ生かすことができるかということを神は期待しておられるのです。ータラントンの人は、なぜ主人から怒られているのでしょうか。彼は主人に語っています。「あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集める厳しい方だと分かっていましたので、恐ろしくなりました」と。主人を恐れるあまり、預かったお金を地面に隠しておいたのです。それに対して、主人は、「その金を、銀行に預けておくべきだった」と言っています。このたとえを通して、イエスが何を伝えようとしたのかを考えてみましょう。一人ひとり、それぞれに異なるタレントが与えられています。それは、神の大きな計画の中で特に深い意味があるものと思われます。

 二タラントン、五タラントンもらった人たちとは、イエスを信じて歩む人々の姿です。神から預かったものを用いて神の国のために働くということは、神を信じている者でなければできないことです。私たちは、イエスにつながっていなければ本当の愛と赦しを生きる事はできません。「だれでも持っている者はさらに豊かに与えられる…」のは、イエスに留まり、イエスにつながる事によって与えられる恵みです。

イエスの福音に触れ、生きる力と希望が与えられた人は、目に見えるものが失われていく中にあっても、神の国の賜物を見失うことがありません。しかし、イエスにつながっていないならば、今持っていると思うものまでも失われてしまいます。五タラントン預かった人も、二タラントン預かった人も、その与えられたタラントンを用いてさらに豊かな恵みを発見していきました。もし、私たちが神の計らいに信頼しイエスと共に生きるなら、どんな状況にあろうと、さらに大きな恵みに導かれることでしょう。そこにおいては健康であるか、病気であるかも関係ありません。神は、私たちがどのような心を持って、どのように神との関わりを深めようとしているかを見ておられるのです。一人ひとりが負っている様々な困難な状況の中で、神が私たちに与えようとしておられる一人ひとりに固有の使命があるのです。この使命を考えないで生きるという事は、頂いた恵みを「地面に埋めてしまう生き方」なのです。神への信頼をもって、自分に託された恵みを思いつつ、新たな一歩を踏み出して行く者でありたいと思います。

 第2朗読でパウロは、「あなたがたは光の子です」と宣言しています。暗闇の力に押し潰されそうな世にあって、それでも私たちは信仰・希望・愛をもって救いの光がどこにあるかを世に証ししつつ歩む恵みを頂いています。私たちに対するイエスの期待、そしてそれを生きるためのタラントンの恵みに、相応しく応えられる毎日でありますように……。