「わたしは良い羊飼いである。わたしはあなたのために命を捨てる」。イエスの言葉です。イエスによる救いとは何なのでしょうか。
「良い羊飼い」と「雇い人」とが比較されながら語られています。雇い人は、自分の身を危うくしてまで羊を護ろうとはしません。狼が来るのを見ると羊を置き去りにして逃げ去るのです。そこが、真の羊飼いであるイエスとの違いです。当時の、ファリサイ派の人々は自分たちのことを真の羊飼いだと思っていました。しかし、彼らのしていることは羊の群れを追い散らすような働きでしかありませんでした。それゆえに、主なる神ご自身が民の牧者となって、散らされた民を探し出し、群れを養って下さる事をイエスは語ります。そしてイエスは、「わたしは良い羊飼いである」と語っているのです。
イエスは、この羊の群れをどのようにして導こうとしておられるのでしょうか。それは、羊のために命を捨てることによってです。雇い人には、決してあり得ない、考えられない事です。しかしイエスは、私たちのためにご自身の命を犠牲にして下さった方です。何故、そこまでして下さるのでしょうか。それは、私たちを本当にご自分の羊として受止めておられるからです。イエスは、私たちのことを本当に心にかけておられるだけでなく、私たち一人ひとりのことをよく知っておられる方です。イエスは私たちを本当にご自分の羊として認識し、心にかけ、知っておられる方です
さらに、イエスは言われます。「羊もわたしを知っている」と。イエスが私たちをご自分のものとして下さり、心にかけ、知って下さっているのは、私たちもイエスのことを知り、心にかけ、イエスと共に生きる者となるためです。イエスは私たちとの間にそういう関わり、交わりを持とうとしておられるのです。そのような信頼関係を私たちとの間に築いているのがイエスです。イエスが私たちの良い羊飼いであるということは、「わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている」という関係が、イエスと私たちの間にあり、また私たちがイエスをどれだけ知っていてイエスの声を聞き分け、その声に聞き従って行けるかという信仰を見ながら語っているのです。
「それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。」
イエスと私たちの相互の交わりがそこにはあります。イエスはご自分が父なる神との間に持っておられるその交わりを、私たちとの間にも築こうとしておられるのです。イエスが父なる神との間に持っている関係を、あなたがたもわたしとの間に持って欲しい…、そう願いながら語っておられるのです。そのために必要な信頼関係が、どのようにして築かれるのかをイエスの言葉は語っています。
父と子の信頼関係はどのように築かれるでしょうか。それは、先ず父が子を無条件で愛することによってです。先ず、父が子を無条件で愛することによって、そこから、その愛に応えていく父と子の信頼関係が生まれました。父なる神は独り子イエスを無条件に愛しておられます。その父の愛に応えてイエスは、父のみ心に従って歩まれました。人間となってこの世を生き、私たちの罪を背負って十字架にかかって死んで下さったのです。父なる神に愛されている信頼関係の中で、イエスは父のみ心に従って私たちのために命を捨てて下さったのです。父なる神は、独り子イエスが、罪人である私たちを無条件で愛することを望まれたのです。父がイエスを愛したようにイエスが私たちを愛し、イエスが父の愛に応えて父との良い交わり、信頼関係をもって生きているように、私たちもイエスの愛に応えてイエスとの良い交わりを生きるようになる、そのことを神は願われたのです。つまり独り子イエスの十字架の死によって私たちの救いを実現して下さることこそが、父なる神のみ心であり、イエスは父への信頼によってそのみ心を行って下さったのです。
「わたしは羊のために命を捨てる」と語られています。イエスが私たちのために十字架にかかって命を捨てて下さることによって、父なる神と独り子イエスの間にある信頼関係が、イエスと私たちの間にも築かれていく、という神秘がここで示されています。私たちとイエスとの間に、良い交わり、信頼関係が築かれるのは、イエスが私たちのために十字架にかかって命を捨てて下さったことによって生まれる恵の出来事なのです。この信頼関係は、私たちが努力して築いた結果ではなくて、先ず、イエスが私たちを無条件で愛して下さったことによって築かれた恵みです。イエスの十字架の死は、神の独り子であるイエスが、私たちの罪を全てご自分の上に引き受けて、その償いを全てして下さったということです。つまりイエスは、私たちがちゃんとした者になったら愛してくれるのではなくて、神に背き逆らっている罪人である私たちを、何の条件もなしに愛し死んで下さった方なのです。私たちはこの無条件の愛を既にいただいています。私たちに出来ることは、このイエスの愛に感謝をもって応えていくことです。どんなに頑張っても十分に応えることなどできません。しかし、それでも、及ばずながらでも応えていこうとする時に、「わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている」というイエスと私たちの間の信頼関係が深められていくのです。この無条件の愛は、私たちを超えてさらに多くの人々に境界を越えて広げられて行きます。
「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる」。
良き羊飼いであるイエスは、私たちをさらに広い牧場へと導き、皆がともにイエスの救いに与るよう導いて下さる方です。そのために、私たちが協力する者となれますように……。